東京稲門ライオンズクラブ TOKYO TOMON LIONS CLUB
⑴ 2010年3月:早稲田大学 人間科学部 卒業
⑵ 2010年4月:東京建物株式会社 入社(現在)
⑴ 大学在学時代は教育工学・統計学を専攻しており、WEB教材の制作と当該フォームから入手した統計情報を因子分析・回帰分析するゼミに所属しておりました。と書くと真面目な学生をやっているように見えますが、実のところは、中高時代に芸能をやっていて忙しすぎた反動で、ほぼ麻雀と飲みに明け暮れる日々を送っておりました。
⑵ 東京建物に入社後は、①オフィスの運営管理業務を約3年間、②商業施設とホテルの開発を約4年間、③大規模オフィスの誘致を約4年間、やらせて頂いております。
主な実績としては、②時代に行った「FUNDES」という都市型飲食ビルの立ち上げを行い、計5棟展開するところまでを携わりました。また、③時代には、旧豊島区庁舎跡地「Hareza池袋」の再開発に携わり、上階に作った約12,000坪のオフィス床の客付け主担当として、活動して参りました。
現在は③の延長で、アフターコロナのワークプレイスの在り方を探りながら、次のオフィス拠点戦略の提案や、移転を効率的に推進するための「居抜きオフィス」「セットアップオフィス」の商品企画(貸方基準の再構築等)を行っております。
《LC入会のきっかけ》
LC入会のきっかけは、大学時代の同僚である石橋幹事からの誘いが始まりでした。私の中で石橋幹事は大学時代から刺激を与え続けてくれる大切な友人であり、最初はLCのことは正直よく分からず入会したと記憶しております。現在は会計というポストを担わせて貰いながら、日々「奉仕の在り方」について考えております。丁度ビジネスにも慣れてきた30半ばという年齢に差し掛かるタイミングで、改めて利他的なことに目を向ける機会を頂くことができ、いい刺激を受けております!
早稲田大学 人間科学部 2006年入学
同学部 2011年卒業
学生時代は「所沢キャンパス」にて心理学を中心に専攻していました。文理融合で垣根無く学問を学べる学部というのが特徴で、飛行機事故や自動車事故のヒューマンエラーを解析する「安全人間工学」の研究を行っていました。その過程で「航空機パイロットになりたい」という気持ちが芽生え、大手航空会社の自社養成パイロットコース・航空大学校・航空自衛隊幹部候補生(戦闘機パイロット要員)を受験しましたが、結果が実らず、自主留年をする形で就職活動は2年に渡り行いました。
課外活動では「柔道部」に3年次まで所属していました。小学3年生から柔道一直線の人生(インターハイ準優勝 / 内閣総理大臣杯3位 / 金鷲旗3位)でしたが、組織の命令系統をゼロから立ち上げるサークル活動や学生でベンチャー企業を経営する先輩方と一緒に活動したことが、私の人生に大きな影響を与えるきっかけとなっています。
❶キリンビール株式会社 2011年度入社
中四国統括本部にて、飲食店に対する販推営業を担当していました。
具体的には、キリンビール製品を既に取り扱っている得意先へ売上向上のためのイベント企画・契約更改をする「維持活動」と、他社製品を扱っている企業に対し、売上向上の為の施策提案を行い、商品の総合的な採用(切り替え)を行う「攻略活動」を行っていました。
❷株式会社I.G.I.E(いちごいちえ)を設立
キリンビールでの仕事を通じ、クライアントの本質的な課題は、他社との差別化、売上向上、人材不足、ITリテラシーやマネジメントスキル不足、財務基盤の最適化だったりと、お酒の領域を超えたところにあると感じ、「経営者ともっと近い距離で利益貢献がしたい」という想いで、株式会社I.G.I.E(いちごいちえ)というWEBを中心としたマーケティング支援を行う会社を立ち上げ、現在代表を務めています。事業やサービスのプロモーションに必要な各種クリエイティブ制作と、オンライン上での営業体制の構築(インサイドセールス)をすることを事業として行なっています。
東京、中央区銀座で45年以上寿司屋を運営されているオーナーと、そのオーナーの親友に当たるお方からのお誘いがきっかけです。
お二人とも早稲田大学出身者であり運命的な出会いを感じ、さらにご子息さまがライオンズクラブで地区ガバナー(東京地区の代表役)をされているタイミングという事も重なり、「母校をはじめ、地域社会への貢献を果たす」という大義のもと「東京稲門ライオンズクラブ」という全国の早稲田大学のOB・OGで構成される社会奉仕団体を結成するに至りました。
1996年3月 早稲田実業学校高等部卒業
2000年3月 早稲田大学教育学部国語国文学科卒業
2003年9月 ボストン大学大学院卒業(マスター修得)
2004年4月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社
2009年9月 藤井ギャラリー株式会社入社(代表取締役)~現在
2011年5月 目黒区議会議員(~2013年6月 →参議院議員選挙に出馬)
サラリーマン時代に父の勧めで新規ライオンズクラブ立ち上げに参加。
以降、ライオンズクラブに所属し奉仕活動に従事。
2016~17年度の年次大会で次期第2副地区ガバナー選挙に立候補。
2019~20年度の330-A(東京)地区ガバナーに就任。
地区ガバナー期の2020年1月23日に東京稲門ライオンズクラブを創設。
当クラブ準会員(本所属は東京ピースライオンズクラブ)。
2012年 早稲田大学商学部入学
大学時代は、野球サークル・アカペラサークルに所属し、日々サークル活動に勤しんでおりました。
大学3年生から広告のゼミに所属し、
電通とのプロジェクトに参画しながら広告の世界を学んでいました。
その傍ら、個人的に同大学、他大学の知人とチームを組み、
ビジネスコンテストに参加しアウトプットの鍛錬を楽しくやっていました。
(ちなみにこの時期、アナウンサーを目指し1年間アナウンススクールにも通っていました。)
プライベートでは、
裏馬場と言われる社会人しか訪れない居酒屋に単身飛び込み、
幅広い年齢層の大人の方々との交流を深めていたことも良い思い出です。
アナウンサーを目指していた頃もありましたが、
最終的にやりたいことが広告業界にある!と決心し、
エントリーシートの段階で、
ほぼ大手広告代理店2社に絞りました。
他の人との差を作るために、
それぞれの会社のOBOG訪問を40人:40人実施。
博報堂に内定したのはそのOBOG訪問がきっかけだったりなかったり??
2016年 株式会社博報堂入社
スズキ自動車の制作営業担当として社会人生活がスタートしました。
主に、スズキの軽自動車のCM、カタログ、販促物(のぼりやポップなど)の制作や年末・決算キャンペーンの企画、制作を担当していました。
体育会のチームでしたので、
私の社会人としての姿勢・立ち振る舞いは全てここで培われたものです。
今でも良い環境で仕事ができていたなと感じます。
2018年 プルデンシャル生命保険株式会社入社
もっと人と近い距離、長い時間で生きていたいという心持ちのもと、
現在はライフプランナーとして仕事をしています。
主に個人・法人のファイナンスによる課題を生命保険を活用し解決する仕事です。
たくさんのお客様に支えていただき
現在は仕事がやりがいではなく、生きがいになっています。
義父が東京葵ライオンズクラブの会長を務めていたこともあり、
そこからお誘いを受け、入会致しました。
元々、自分を育ててくれた早稲田大学に何か返したいという気持ちもあったので、
今は微力ながらどう貢献できるかメンバーと一緒に考えることが楽しいです。
もっと画期的・活発的なクラブになるよう頑張っていきたいですね。
1)2016年3月 早稲田大学社会科学部 卒業
2)2016年4月 株式会社博報堂 入社
1)大学時代は、人文科学や環境経済学、法学分野まで社会科学部ならではの幅広い分野を専攻し、言語とメディアゼミに所属しておりました。ただ、最低出席日数だけ出席し、大学時代はほぼ全て日本テレビイベントコンパニオンの活動に費やしていました。番組アシスタントや表彰式ステージアシスタント、式典イベントやモーターショーなどの経験ができ、今でも家族ぐるみで付き合う友人たちと出会えました。
2)博報堂に入社し、アカウントプロヂュース職として車・食品・製薬・化粧品等のメーカーを担当してきました。現在は食品メーカーさんの担当として、社内のマーケティングやクリエイティブ専門部署との連携をはかり、ブランド戦略から始まり、CMなどの広告物の制作、プロモーションまで一括してディレクションをしております。
父が東京葵LCに所属しており、幼い頃からLCのイベントに参加してきました。幼い頃はただついていき楽しんでましたが、早稲田大学の稲門ライオンズクラブを立ち上げるというお話を聞き、様々な社会奉仕活動をしてきた両親のように私にも何かできないかなと思い入会しました。
教育学部理学科生物学専修1979年卒、水泳部水球部門
1979年4月凸版印刷株式会社(営業、購買)、2010年4月図書印刷株式会社(購買、営業、執行役員)
2014年6月 学校図書株式会社(教科書発行出版社/副社長、社長
2020年6月 学校図書退任、図書印刷顧問、株式会社 星の環会(出版社)兼務
稲泳会(水泳部OB会)副会長
稲門体育会代表委員(水泳部)
ライオンズクラブ入会のきっかけ
前山口県防府市長 松浦正人ライオンのお誘いを受けて
印刷、出版業界についてはある程度説明が可能です。
どちらの業界も紙の文化からスマホの時代への変化のなかで生き残りを模索中です。
農業を通じた(過疎地の)地域活性化に興味があります。
早稲田大学 法学部 1985年卒業
早稲田大学 大学院 法学研究科 修士課程 1987年修了
早稲田大学 大学院 政治学研究科 博士後期課程 1991年研究指導認定退学
広島県立尾道北高等学校卒業。某旧帝大法学部を目指していました。早稲田大学へはいわゆる不本意入学でした。高校3年生の担任の先生から「東京では石を投げれば早稲田に当たる」と聞かされていました。確かにそうでした。どこに行っても早稲田の卒業生がいます。しかし、早稲田大学には大学院を入れて10年間在籍しました。大学院時代には戸山キャンパスにあった文学部学生読書室で5年間、学生職員として図書館司書の真似事のようなことをし、それで給料をもらって生活をしていました。博士後期課程は授業料がただで、日本育英会から給費の奨学金をもらっていました。思い起こすと、特に大学院時代は早稲田大学にお世話になりました。
法学部なので最初は司法試験の受験を考えていましたが、法律の条文とにらめっこする意欲を失い、法律の背景にある思想や歴史に興味を持ち始め、学究の道を選択肢と考え始めました。というのは表向きの理由で、保険のために教職を考え、3年生から教職課程を履修し始めたところ、教職単位を取得するには3年間掛かることがわかり、留年もカッコ悪いなと思って大学院に進むことにしたというのが本当の理由です。大学院の入試は、修士課程も博士後期課程も当時は採用人数が極端に少なく難関でした。合格はギリギリだったようです。しかし、大学院で先生方から「君はおもしろいね」と言われ、すっかりその気になって今日に至っています。修士課程は法学部の法哲学の研究室で学び、博士後期課程は、修士課程時の指導教授が定年退職されたことから、当時としては異例でしたが、政治経済学部政治学科の大学院に移り、憲法の研究室で学びました。
大学院博士後期課程3年修了時に地方の大学から専任講師の就職の話が来ました。大学院に退学届けを出した後、最終段階で就職の話はダメになりました。先に引き受けていた東京理科大学理学部の非常勤講師(法学・憲法)として大学の教壇に立ち始めました。大学教員歴は30年になります。理科大の学生は優秀でした。その後、いろいろな大学から就職の話がありましたが、最終段階でダメになることが続きました。先に結婚して子供も生まれた後、公立大学である高崎経済大学で新しい学部を設置することになるので着任して欲しいという話をいただき、文部省(当時)の審査を受けて合格。2年待ちましたが、1996年4月に高崎経済大学地域政策学部に専任講師として採用されました。
それと前後してマスコミに自分の意見を述べる機会に恵まれました。以来、25年、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、出版の世界で自分の意見を発表しています。専門は一応、憲法学ということになっていますが、家族制度や民法、教育、皇室制度、歴史認識などなど自分の専門は何かわからなくなるほど多くのテーマに取り組んでいます。最近は日本の古代史に関心があります。マスコミの世界ではNHKラジオセンターの委員を1年、フジテレビの番組審議委員は18年5か月務めました。フジサンケイグループからは正論新風賞(第二回)をいただきました。現在は、山本七平賞(PHP研究所主催)の選考委員などもしています。
大学関係では高崎経済大学に18年間在籍し、助教授・教授を務め、2014年4月から現在の麗澤大学教授を務めています。偏差値が低い大学で教え始めたことで、教えるのが上手になったと思います。話がわかりやすいとよく言われますが、学生を指導してきたおかげであると思っています。また、その間、5年間、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部で非常勤講師を務めました。意欲のある学生がたくさんいました。今もときどきいろんな場面で、特にマスコミ関係で当時の教え子から声を掛けられます。
高崎経済大学に就職した頃から政治家との関係ができました。若手の国会議員も徐々にえらくなっていきます。その筆頭は安倍晋三氏です。その関係で第二次安倍内閣発足後まもなく、首相官邸に設置した「教育再生実行会議」の有識者委員を委嘱され、菅内閣の今日に至るまで8年以上、委員を務めています。教育再生実行会議の座長は前・早稲田大学総長の鎌田薫先生です。現在はニューノーマル時代の教育の在り方をハイペースで議論しています。専門に近いところでは、法務省の法制審議会の民法(相続関係)部会の委員として40年ぶりの相続法改正に関わりました。現在も法務省の役人から折に触れてあれこれ相談を受けています。また、小泉内閣の頃から始まった皇位継承問題についてはいつの間にか専門家扱いされ、政府からヒアリングを受けた回数は最多となっているようです。
私生活では子供が3人。上の2人は青山学院大学を卒業し、既に社会人です。末っ子は東京藝術大学美術学部に在学中です。
私自身の仕事の関係でも、子供の教育でも、早稲田大学との関係はありません。
大学院退学後、早稲田大学とは無縁に過ごしてきましたが、一緒に「教育再生首長会議」をつくった前・防府市長(山口県)にして前・全国市長会会長の松浦正人氏からに、東京稲門ライオンズクラブを結成するに当たり、強引に会長に推挙されました。当然、辞退したのですが、三顧の礼ということもあり、お引き受けしました。ラインズクラブについても右も左もまったくわからないまま、皆さんに教えていただきながら今日に至っています。早稲田大学も不本意入学でありながら、その後、すっかり馴染んだように、東京稲門ライオンズクラブでも現在は皆さんとの交流が楽しみになっています。人生はおもしろいものだと思います。
2015年4月〜2019年3月
流通業界の担当営業として勤務。主にシステムインフラ・クラウド関連の商材を導入。
2019年4月〜現在
官公庁業界の担当営業として勤務。主に顧客業務のシステム化提案を行い、小〜大規模システムの導入および更改を実施。
大学時代はアウトドアサークルに所属しており、山登りを中心にスノボ・キャンプなどの活動に打ち込みました。
割と多趣味な方で、他にもトランペットやカメラ、イラストなども勉強しました。
その中でも最もストイックに打ち込んだのは飲酒でしたが、社会人になってからは飲酒活動の機会も減ってしまい、今では缶ビール3本位が限界です。
大手ITベンダー入社後は、流通と官公庁という全く異なる二つの業界を見てきました。
流通業界では、世界のトップ企業と競合しながらも、日本企業だからこそ出来る柔軟なカスタマイズを強みとしてチーム一丸となってシェア拡大に取り組みました。
一方の官公庁業界では、国内企業がライバルとして登場します。ここでは自社SEや製品開発のクオリティをアピールして商談獲得に取り組みました。
経歴を踏まえて簡単に自己紹介させて頂きましたが、多くの方にとってはIT/ICT/DXという言葉が指す概念や、「システム」というある種実態のない商材を取扱う営業の業務内容についてのイメージがそもそも掴み難いかと思います。
興味がある方には、身近な例を踏まえてご説明させて頂きます。
母の仕事の関係で、幼少期よりLC会員の方々と接する機会に恵まれていました。
昨年、お付き合いのある会員の方から新規に立ち上がる東京稲門LCへの入会のお誘いを頂き、これもご縁と思い入会を決めました。
2013年早稲田大学社会科学部卒の堤寛大です。
新卒で昭和電工株式会社(現・株式会社レゾナック)に入社。
基礎化学品(アンモニア)の営業メンバー・サブリーダーとして新規・既存営業に従事。
2017年に昭和電工を退社。現在のITベンチャー企業に入社。
現在は五反田のITベンチャー企業にてマーケティング支援をしています。
・Web広告やサイト制作、各種DX関連ツールの導入~運用支援
・マーケター/デザイナー特化のマッチングサービス「カイコク」の運営
上記2軸をもとにクライアントのマーケティング支援に取り組んでいます。
経営者・営業交流会にて石橋さんと出会い、入会しました。
自身も年次稲門会に所属し、幹事メンバーとして活動しているため、稲門LCで得た学びや経験を活かしていければと考えています。いつか年次稲門会で得た学びも稲門LCに還元できればと思っています。